2009年12月17日

「遮断」せよと他人が言う(本読んでますか09.12.17日号)

ちょっとまた読む本の傾向が変わりつつある。というのもちょっとあれやこれや過剰すぎないか、いやダイエットしろよという潜在意識のなせる技か。やたらその手の本に手が伸びます。中でも最近出色だったのが、「あなたはなぜ太ってしまうのか?」だった。しかし、この本のいいたいことはタダひとつ。

「太っている人は摂取する総カロリーを減らせ」

というものだ。で、そこまでに人類と職の歴史を紐解いて今の時代がいかに飽食かというのをこれでもかと描いているのだ。これは読むと実に身につまされる本で、普通のダイエット本とは違うが、色々考えさせられる。






あと個人的に思うのが情報のダイエット。つまりある程度の「遮断」だ。三浦展氏の最新作「情報病」は情報に翻弄される大学生を今どきの若者に置き換えて紹介しているが、これは読み進めると誰もが自分に当てはまる部分を見つけると思う。





人は意外と「自己」というものを持っているようで情報に簡単に振り回されてしまうものだ。これは自分でもよくわかる。ましてや不安やネガティブな情報が渦巻くネットばかりに埋没したらどうだろうか。そんな想いを持ってしまう。

結局、我の強い人とか、芯の通った人というのはその辺の情報の摂取と遮断のバランスがうまい人のことだ。情報もしかり。バランス悪くてやたら不安がる人も多いけど、まだまだやることはあるはず。

自分の場合はダイエットか。お後がよろしいようで。
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2009年12月11日

早くも今年を振り返る本の話

今年は個人的にも色々大きな年でした。いい年でもあり、前半は仕事も大変なことがあったりしましたが、モノの見方とか大局観みたいなものがかなりしつかりしてきたという意味でも収穫の年でもありました。

そんなきっかけとして欠かせないのが本と音楽。今年は数えたら12月の頭までで単行本は400冊ぐらい読んだみたいです。

ざっくり時系列で紹介すると…。



西原さんの体験的お金の本。この本ってお金に対して実にクールなタッチが印象的。それはお金で一生を棒に振る人や振り回されてきた自身の体験が元になっている。

お金があるってのは実は余程の金持ちだじゃないと人並みに暮らそうと思えば、あまり年収のレベルは関係ないというのをこれまた説得力満点で書いているのが、岡本吏郎氏の本。そこで節約をするなら人並みという考え方からは慣れた方がいいというのは面白い観点。



別の著者さんは節約という言葉が嫌いだから節度という言い方をしていてそれは自分のスタンスという点を明らかにしていて表現としては凛としている気がしていいなあと思いました。

つまりお金の悩みは年収の多寡によらず尽きないのでそれはそれでオーソドックスに考えすぎない方がいいというつまらん結論になったりするのですが…。



今年は政権も変わって、昨年の金融危機からデフレに至るこの経済の流れと世の中に漂う閉塞感についても随分興味を持って本を読んだ気がします。

今年の個人的決定版は鴻上尚史の「空気と世間」でした。結局は、日本人論とか日本人の考え方が時代の変化と共にどう変化するのかということにいきつくのですが、この世間の考え方と和の思想が繋がるという話は、実に興味深く読めました。



そこから日本人のコミュニケーションの特徴や00年代からネットで問題提起されているコミュニケーションについてもちょうどひと頃のヒートからさめてクールな感じになりつつある言説が随分でるようになりましたね。





さらにネット界のビジネス的な展望も色々とは百家争鳴で色々ですがこれまでのウエブ万能論からもっと現実的な方向にでていて、年末にフリーという無料経済の本まででてなんだか、世の中のIT化とデフレと無料経済、民主党の社会民主路線と何となく時代がシンクロして、このていたらくな感じはよくよく考えればここの日本人が選んでいる結果ではないかと思ってしまいました。





でもそこには待っているのは「パラダイス」でなくて、高負担社会というのは何とも大変な時代なのですが…。



こうしたパラダイム転換の時期をどう生きるかってのも大事というかみんなに突き付けられている課題であります。





そうした中では結局、猪木が一休和尚の言葉を借りて引退試合で行った「迷わずいけよいけばわかるさ」というのが確率論的にも幸福にたどり着く手段であるというのが結論になっているというのもあまりにも普通。多分、世の中の王道というのはそれほど変わらないのだなあというのが、多くの本を読んだ実感だったりします。





加えて、小泉時代からの拝金主義的な流れから今のデフレというむしろ新しい「価値基準」を考えたときに取りざたされるのは「自由」という言葉かも知れませんね。そんな気分を反映していた本も結構読んだかも。





あと厳しいといわれる出版やサブカル界からも意外にいい本が出ていたと思います。ここでもやっぱり個人的にはネット発でないフィルターを通った作品の方にひかれます。でもこれは完全に世代の違いの問題なので、ネット発のクリエイターが悪いと行っているわけではないのでご容赦を。





それにしても今年は新書が増えましたね。そう考えると出版社の収益を圧迫するのでは他人事ながら心配したくなりますね。
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2009年12月04日

1週間ぶりに…

普通に家に帰れた…。師走に入ってくると来年の話になることも多いが、どこも不景気な話ばかリ。なんだかのんびりしているのだかなんだかわからないけど、もう世の流れは03年ぐらいから何ら変わっていない気がするのだが、どうなのだろう。



話題の本「フリー」を読了。このあたりの「無料経済」の台頭は今の経済に徐々に浸食している。そうなると無料な経済と対価を得られる経済のトータルで利益を考える必要があるという意味では至極当然の話。





こうした前提を踏まえた上での小飼弾氏の「働かざるもの飢えるべからず」を読むと少数の勝者とその他大勢という構図がより鮮明となっていくというのがわかりやすく説明されている。だが勝者といえども「その他大勢」に常に「安くて品質のいい商品やサービス」を提供せねばならないということで勝者も大変、みんなも大変。じゃあ、好きを極めよーー対価はあとからついてくるのではというはなしでこれまた「FREE」にも通じる読後感である。







こうした動きは90年代後半に隆盛を迎えた「クラブミュージック」や「アンダーグラウンドミュージック」でも顕著だった。その動きを現場感覚で綴ったのが音楽ライターで現在はレーベルの運営もしている原雅明さんの「音楽から解き放たれるために」である。中でも書き下ろしの第1章は、音楽を取り巻く状況の変化。個人的にも愕然とした宇田川町のアナログレコードショップの衰退とDJカルチャーの変化みたいなもの。さらには専業のプロデューサーやDJなどの経済的な変化についても実に的確でしかも冷静なトーンで分析していて、その背景には「FREE」経済の浸食や、デジタルネイティブ世代の情報のとらえ方の変化みたいなものをひしひしと感じるのだ。

依頼されて対価をもらって書く原稿と無料でも表現したいブログの世界。それが混在しているのが今の経済の様相なのだというのは面白い。同時にCDなどのパッケージの音楽とデータとしての音楽も混在している。そこをどう選別していくのか。おそらくまだ経済の要請は、無料に向かって舵をとっていると思う。

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2009年11月23日

日々雑感 その2



前にもかいたけど時間というものの慌ただしさに適応できない人が増えている気がします。かくいうワタシも必死ですが…。仕事が終わればそこからは生活者としての時間の流れがある。

そんなことを思わせてくれるのが、「生活という速度」という本だ。ここでは筆者がつれづれの生活の速度を描いていく。その速度感が心地よい。



速度が速いというのは若さであり、価値の源泉であり経済的優位に立つひとつの処方箋だ。それに夢中になると自分の時間軸を失う。

だが生活者であれば、それでもいいのではないか。



たまたま週刊ポストを読んでいたら、「思考の整理学」の外山滋比古氏がでていてインタビューを受けていた。そこでは「忘却のススメ」として、今の情報メタボに対しての対処法について答えている。

その回答は真っ当で実に要諦として5つ上げている。
1、学んだことはすすんで忘れる
2、家に仕事を持ち込まない
3、缶ビール片手にスポーツ観戦
4、環境を変えて頭のゴミを捨てる
5、忘却・着想を促す散歩の習慣

としている。これこそ、生活者の速度を取り戻すことではないかと思うのだ。






しかし、その一方で、時間軸というのはこの今の社会では複雑にいくつもの速度が併存していてその「速度」のそれぞれに対応していくことは実に難しい。

それが世の中にあるビジネス書の中で時間管理術の類の本がたくさんあるのは実に現代人が困っているのがよくわかる。中でもプライベートの時間を管理するなんて人はあんまりいなくて、むしろ仕事の中での時間をどう取り扱うかが問題なのでありましょう。

結局は、仕事の中で何が優先すべき時間でどう配分していくかは今の時代のように情報量が多いと整理しきれないのですね。そうなるとうまくできる人とそうでない人にはっきりと区分されるようになってきます。

これはスキルとか使える時間によっても違うのもさることながらこれまた職場の「困ったちゃん」をみていると散漫なのがわかります。というか集中しないであれやこれや始めてしまう。これは人によってかなりばらつきがありまして、集中力そのものが今の時代ではなかなかキープできないというのも世代の問題もあるでしょうし、環境の問題もあるのではないか。

そんなあたりの処方箋として優れているのは、GTDを紹介した「ストレスフリー〜」のシリーズや「減らす技術」何かが最適かと。





実はこの時間管理の問題と地繋がりで感じるのは、「空気を読む」ということです。最近では、やけにKYなんていわれて同じ世代間のコミュニティでは「空気を読む」ことが重視されているのですがその一方、職場では「KY」というのが平然とまかり通っています。それは会社や上司の意向や読み取れない部下が悪いのか、それとも逆に部下に「空気」を伝えない上司が悪いのかーー。おおむね両方悪いのですがそんなことを思いますが、端的にいえば「困ったちゃん」というのはこの点も察しが悪いのが悩みの種です。



そのために気のいい上司は懇切丁寧に説明しても今度はつけあがり、上司が思い悩むなんてことも見たような見ないような…。いずれにしてもよくある光景です。

こんな職場の空気や時代の空気というのの正体は何なんでしょう。過去には山本七平の「空気の研究」というのがありましたが、現代的な視点からそれに挑戦しているのが鴻上尚史 の「空気と世間」という本でありました。



ここでは空気の例としてバラエティ番組でさんまのようなメイン司会のいる番組に若手が番組のテーマと合わない話をして「空気よめない」という話がでます。

ここでは、メインの司会がいてなおかつテーマもあってヒエラルキーもあります。ところが今の世の中では初対面の人とでもまるで「日常のバラエティ」のように場を読まなくては逝けないといいます。確かに情報が多すぎてもなくてもいずれのシチュエーションが常にありますよね。

そのときに人はどう、空気を判断するのでしょうか。そこで「世間」と「社会」とにわけると鴻上氏はいいます。世間は自分の関係ある世界、社会は自分の関係ない世界とわけてしまうというのです。



ここで「困ったちゃん」の話に戻れば、彼らが感じる職場の空気とは「空気」であり上司の規定する「空気」とは別世界ではないか。そうであれば、そこでの振る舞いもおのずと会社や上司とずれる場合が多くなります。

そこが世間だと、自分が「見る」と「見られる」の関係から行動や態度を空気にあわせようとするのではないか。その違いを明確に人によって感じるとは、その人たちの「空気」の感じ方そのものが大きく関わってくるということになります。

ましてや今の時代は色々なシチュエーションで世間と社会を判断し人とコミュニケーションしなければいけません。ここにまた息苦しさを感じたりするのが増えているのも事実でしょう。



この関係性は職場のみならず、学校の友人やお店と顧客の関係にも当てはまると考えると実に今の時代はこの「空気を読む」を難しく考えようと思えばいくらでも難しい作法があるようにあると思えるかもしれません。

そういう意味で実に鴻上氏の指摘は示唆に富んでいます。



さらに世間と空気の関係について「世間は空気が流動化したもの」と定義しています。この本では世間の定義として5項目あげているのですが、それのいくつかがかけたものが、空気としています。

そして日本人は世間と空気の先にある社会での人との関わり方を知らないのではないかと指摘しているのが興味深くもあります。



しかし我々は社会と関わることで先にあげた「かまわれない自由」を謳歌してきました。ところが、社会との関係でいえば、むしろここにきて社会との関係に置いて色々問題が出てきているという気がします。



これまたこの本の結論としては、こうした時代を生きていく上で複数の共同体に緩やかに繋がることをすすめています。というよりも今の時代はそう普通に生きていると思うのですがそれは人それぞれなのですが…。



こうした空気と世間という重層的な人との関わり方というのは、日本の文化そのものといえなくもない。「文化の力」という本の中では、その日本特有の文化が海外進出のパワーになると説く。それはいわゆる「ジャパンクール」ともいわれたりするが、その本の中で司馬遼太郎の「アメリカ素描」の中で日本とアメリカの文明と文化の違いを挙げている。そこでも鴻上氏の指摘とも似た記述がある。





つまり日本のもつ文化そのものがコミュニケーションの多重性にあり、ここにきて世間と空気というかたちでにわかに変化しているというのがパラダイムの転換に繋がっているのだという結論にはなるほどと納得させられるのであります。



それは内田樹のいう日本の辺境論もまた日本の特殊性について述べているのだが、その特殊性というのはどの国にもあるわけでしてそれこそが文化であり、これからの社会での強みになりうるという視点は非常に面白いのでありました。

posted by nizimasu at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2009年11月17日

日々雑感(本読んでますか2009.11.17)

まあ、何度も書いていますけど、仕事に私生活に充実な今年。プライベートでも色々あったが、それに匹敵するほど、今年の仕事というのはトラブルと重圧の日々でして、こんなに大変なのは入社2年目以来という感じでまさに初心に帰る今日この頃です。



そろそろ1年を振り返る頃で酒席でもそんな話がでるのですが、なんで忙しいというのかと思うと、なぜか面倒くさい仕事を振られるのですね。これをクリアするのが今年前半の課題だとすると、後半はやる気のない関係者とどうつきあえばいいかという問題にいきついたわけです。

結局今のところは、面倒ですが自分でできることをしつつという状況で折りをみて色々話すのですがなかなか言語が違う感じで伝わらんというのがつかれるわけです。



これは単純に個人的な感想なのだが、やる気がある人とない人が仕事をする上で意思疎通をしようとすると、まるで外国語をしゃべれないモノ同士のようなグダグダ感がある。

片や仕事をさせたいが、一方はしたくないのだからごねたり正当化したり、周囲に嫌な感じにするのもこれまた困り者。



今年のヒット作になった「不機嫌な職場」を読んでいるとそんな職場がごまんとあるのでしょうな。なんだかよくわかります。それが売上に直結する立場のワタクシからしますと、これが非常に悩ましかったりします。





そんな矢先にですね、仕事でおつきあいのある人と久々に飲んだんです。それとはなしに、
「やる気のない人間はどうしたらいいんですかね」
と聞いたら、笑顔で
「やめてもらえばいいんじゃないの」
の一言でした。それほど、こうした人を矯正させるのが厳しいということは実感としてわかりますね。

実はこの言葉を機にちょっとこういう関係者と距離を保ちつつチームを作って盛り上げるという作戦を実行中ですがさすがにこれまた疲れますが、どこも中小企業はおおかれすくなかれあるみたいです。そんな経営者の人と話すとよくでるのが「パレートの法則」でして2割の優秀な人に6割の普通の人、2割の悪しき人とかよくあるそんな話です。

今のところは、このうちのやる気のある人と地歩を固めるのがこれからの作業かとそんなことを思いましたさ。







仕事をしていると自分に負荷がかかりそうになると途端にブレーキを踏む人がいます。これは特に若い人に顕著で要は「怒られたくない」とは「怖い」とか思ってしまうらしいですね。

いわゆる格闘技である負け癖みたいなもので、以前によく修斗のような格闘技で有望だった選手が一度どかんと負けてしまうと負け癖がついて、もう一歩組込めずに負け続けて引退するというケースを良く見ました。なんだか、そういう習性ってどうやら誰にでもあるみたいですね。

格闘技というのは実力の世界ですからやむを得ないのですが仕事というのはそこまでのレベルを求めていないにも関わらず、まだ若い人が何もせずに負け癖がついてその弁明に終始するというのがいかんともしがたいわけです。



でもこの話は意外とどこにでもある話で、たまに会う知人なんかにすると同様の話がでます。

これは実は時代の空気とか世代にも関係があるのかなと思ったりもします。

そんな時にまさに意を得たりとおもったのが、「かまわれたい人々」という本でありまして、いわゆる職場の「困ったちゃん」に共通するのが「かまわれたい」という感情をびしびし感じるのであります。というよりもかまわれたいという感情がむしろ強い人が多いんですね。



なんでだろうと思って読み進めるとまあ、なんとも一部を除くと納得できる話でありまして、そのベースにあるのは日本が高度経済成長以降に「かまわれない自由」と「かまわれない孤独」に現代人が苛まれているという話でありました。

その端的な例として、コンビニという業態を上げているのだけれど、コンビニという業態は24時間という営業時間もさることながら、その一方で店員が何を買うのかというのを気にしないところつまり「かまわれない自由」という購買行動があると分析している。確かにあんまり買う気のないときに洋服屋で店員に「何かお探しですか」といわれるとついその場をあとにしたくなりますな。(買い物慣れしている人はそうじゃないらしいけど)そうした「かまわれない自由」を前提とした購買行動が主流となる中で、「かまわれない孤独」が増えているというのです。

その孤独がまたいわゆる暴走老人やクレーマーに繋がるという話でしてちょっと強引という部分もありますが、それを差し引いても確かに「かまわれたい人々」と「困ったちゃん」に共通するメンタリティみたいなものを感じます。



それは端的に言うと「他者による承認欲求」ということなのですが、これが「困ったちゃん」の場合、当人と周囲の間にものすごいギャップがある場合が多いのですね。



「かまわれたい人々」でも会社人間のありようとして会社の組織集団性(複数の人で仕事をしようとするいわゆるチームワーク)に加え、組織となじまずに成果を出そうとする人がでてくることを問題視していきます。このスタンドプレーや会社人間が極端に会社に法師精神を発揮したにもかかわらず「かまわれない孤独」にいらだち仕事をしなくなるといったケースも上げていて、ばるほどと膝を打つばかりなのです。それ以外にも、非会社人間というのも組織にいましてこうした分類で見ると意外に多種多様な「困ったちゃん」がいることに気づきます。



まあ、個人がそういう孤独に苛まれた場合、実はこの本に関わらず、多様なコミュニティーと関わりを持つことが処方箋になるというのはやけに納得な議論であります。

このあたりは、平田オリザの対談本「ニッポンには対話がない」や鴻上尚史の「不安と孤独のレッスン」あたりでも主要な議論となっていますがまあそうなのでありましょう。






こうした「困ったちゃん」がここにきてふわっと増えている気がしたのでどうなのでありましょう。と色々なところでそれとなく話しているとあるベテラン芸人さんに「それは情報が多すぎて何でも比較しちゃうからでしょう。ワタシの弟子もそうですよ」と話していました。へえと思いつつ、たまたま役者サンとかの本を読んでいたら全く同じ分析で「カラーバス効果」といえばそれまですすが、なんだかこの閉塞感の一部は実感的に「他者と比べたときに物足りなさ」みたいにあるのかなあと思ったりもします。





ただここで面白いなあと思ったのが、そうした他人と比べたときに感じる不安感や劣等感が今の20代後半以下の人にある消費行動とも結びついている指摘である。この辺は以下の本にあって意外に、変な話になっていなくて共感できた。





ただその一方で、消費しなかったり「清貧」であることを日本人の美徳とする捉え方も、ここにきてかなりでてきています。例えばその代表的な著作として「逝きし世の面影」なんかは江戸時代に外国人から見た日本像というのを丹念に調査した労作なのですが、そこには貧しいながらも陽気で明るくてセンスのいい日本の姿が表出しています。



そういった論調はどうも読みやすいらしく最近では結構こうした本は出ていますね。でも実際どうなんでしょう。





こうした議論のいきつく先は「日本人はダメになったのか」という話でしてこの辺の話も人によってまあ様々なのですね。わかりやすい本では香山リカさんの本とか読みやすかったりします。






結局、日本というか世界は色々考えていくと「パラダイム」というかルールやこれまでの価値観が大きく揺さぶられているということなのでありましょう。





で、なんでこんな長文を書いているかというと単にここ1年ぐらいの自分の読書傾向の一端をまとめていたらこんなになってしまったという話でありまして、長々読んでいただいた方には申し訳ない限りであります。



ちなみに、この「困ったちゃん」に対する個人的な見解としての処方箋に近いものはある本を読んでいたら何となく近いものがあるなあと思い感心したので上げておきます。




でも最近、かんべえさんのWEBにあるのを見たら、タフさとかそういう生き物としての強さとか凄くそういうものにいきつくなあとつまらない結論になってしまったのでありました。

<中国で論争しているときに、「でも先行き不透明だから・・・」と言った瞬間に周りの中国人たちに大笑いされてしまった由。「先行き不透明だなんて、先行きは不透明に決まっているじゃないか」「お前は未来が分からなかったら、何も出来ないのか」と言われ、愕然としてしまったとのこと。これは日本人として、とても耳が痛いことだと思います。>

































































































posted by nizimasu at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2009年10月12日

本屋が好き!!

ふと、思います。なんといっても本屋に流れる時間感覚が普段の生活よりもスローで居心地がいい。

本当だったら自然にふれて森にでも行けばいいのだけれど、個人的には本屋が癒しの役割をしています。

特に本屋は1フロアーですべて完結しているのがいい。渋谷では紀伊国屋とか、銀座のブックファーストとか…。

でも素敵感全開なのはやっぱり、六本木のABCに恵比寿の有隣堂か。ABCはあんまし往時の輝きがない分、ゆったり本を探せるし、有隣堂は品揃えはなかなか。つい帰りに立ち寄ってしまう。

やっぱり本屋は癒されるなあと連休中に本屋で回遊すると改めて実感したのでありました。
posted by nizimasu at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2009年09月21日

ライフスタイルの問題

そういえば、土曜日の昼間に久々に高校時代の友達とメシを食った。久々に連絡したら、新婚だというのでお邪魔してみる。

人様のお家に伺うとなぜかその家の時間感覚というのを感じる。その友人の家は間違いなくスローリーである。ゆらりとしていて、出された食事もすべてお手製。

お茶も自分のお気に入りだしサイダーもそう。まさにこちらからみると優雅な時間感覚である。

もともと友人もどちら家といえば華やかなぎょうかいにいたのだが、それよりもこちらの生活の方が水が合うらしい。大変良くわかります。他の友人もしかり。

いわゆる生活に根ざした感覚というのをちょっと忘れていたので新鮮であります。

この時間感覚に身を置いた瞬間に、かつての大量消費の時代とはあまりにも変わったなあというのが皮膚感覚でわかる。

その一方で、最近ご無沙汰気味のクラブに行くと1時間のプレイでの情報量の濃厚さには驚かされてしまう。ハウスでもフルレングスでかけるよりもフィジェットやエレクトロ系のDJなどは2分程度(でも長いか)でがんがんかける。実はその時間感覚はDJをしているとよくわかるのだが、いかにお客さんに対して刺激刺激押しですでに上げていくという感覚。

この辺りは前にダフとパンクのイベントでも書いたけど、縦ノリ化していくDJというのは、面白いが今のパーティのサイズではちょっと胃がもたれるのではないかと思っている。もっとライブハウス志向でいいと思うし、その時間感覚がないまぜに共存している状況をかいま見たときにちょっと面白いなあと思った。

ただ全般的には、時間感覚を家庭を中心としたスローな感じに戻そうという感覚はどこでも感じていて、なんだかそこがどうすすんでいくのかという店では成熟という意味で「郊外」や「地方」という場所から何かでてくるんじゃないかと千住に立ち寄りつつ思う次第でありました。
posted by nizimasu at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2009年09月15日

「気づき」の問題

晶文社が一部の書籍をのぞいて撤退するという。晶文社はある人たちにとってはとても思い入れの強い出版社だ。編集者の津野海太郎。それから植草甚一の本。あと個人的には最近の小沢昭一の復刻。

ある種のサブカル臭を強烈にはなっていたのはついやられてしまう。先日、本屋に行ったら四六判のフェアをやっていた。そこに晶文社も協賛していた。で、内田樹の本もあったのでつい手にとる。

この人の本の何が面白いのといわれると困るのだが、そこにいつも「気づき」があるのが大きい。

いつもハッと気づかせてくれる例のあれだ。でも世の中に対する感度のあまりない自分にはこうした機会は貴重だ。毎日漫然と暮らしているからね。



「おじさん的思考」は02年に出された本なんだけど、全体から感じるのは、日本が没落している様である。認めたくないが厳然としてそうだ。高齢化社会がすすむ社会というのはGDPも下がり国力が落ちていく。

それを生活の断片から見いだしていく。フリーターと主婦は潜在的失業者だという言説はラジカルだけど、そこにレッテルを貼ることで失業者と気づかずにいられるという自覚のなさや、無知になる大学生が何も考えずに社会に出ることで衰退して言う社会像というものはさながらSF小説のようであるがそうなのであろう。

前にも書いたがわびさびと高齢化社会での志向というものが示すものは老人国家においての処方箋な訳で気づきがなければ、おとらす滑り落ちていく社会なのでありましょう。

老人化する社会で生きていく上でしがみつくとか滑り落ちないようにするにはどうするのか。きわめてアッという気づきとシンプルな処方箋…。晶文社が出している本にはそういう視点がある気がするのだが、やめてしまうのは残念でならない。

出版について改めて考えさせられる事態だ。
posted by nizimasu at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2009年08月17日

炭水化物の問題



生まれた頃から食いしん坊で、すでに人生の半分を過ごしているワタクシ。小さい頃から揚げ物が好きで、今でも鶏のから揚げとかケンタッキーとか、もうたまらんと思うわけですが、さすがに食べる頻度は減らしております。

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そろそろ、秋が近づいていますが、この頃になるとかつおとさんまが無性に恋しくなるのも食欲の秋たるゆえんでありましょう。

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そんな矢先に、本屋で衝撃な本を見つけてしまった。好きな作家の宮本輝の本だとおもったら、もっぱら糖尿病の人の食事について書いてある対談集で、これがやけにダイエットに繋がる話が満載で面白いのでありました。




要は、糖尿病の人は栄養指導で糖質と脂質とタンパク質の割合が6:2:2に規定されているのでありますが、この対談の中では限りなく糖質を減らす糖質制限食というのを推奨して成果が出ているという話でありました。

この話だと、ビールやワインは糖質が多いのでダメだが、焼酎やウイスキーは飲んでいいよという話で、糖尿の人がアルコールOKというのはこれまた画期的であるといいます。

実は、ワタクシ、体型的には十分糖尿予備軍といえそうですが今のところ血糖値はかなり低め。

だが、ダイエットが気になるお年頃でして最もやせる方法は何かと言うと、この糖質ヌキダイエットなのが有効なのもなんとなく察知しているのであります。

一般的には炭水化物ダイエットというのがありますけど、そうなんです。確かに私は炭水化物を摂取しないとすいすいやせるのですが、炭水化物を抜くとどうしようもなくイライラしたり我慢するのがしんどかったりするので困り者なのであります。

実際、知り合いが炭水化物ヌキをやったらあっという間にやせたけど、久々にうどんを食ったら見事に1食だけで、リバウンドしたというから結局、糖質制限にしろ、低炭水化物にしろ、ご飯を減らせというメッセージが本の中からもびんびん伝わってくるわけです。

と考えますと、今後、大好物の鶏のから揚げやさんまを食べなくてもおそらく問題ないでしょうが、米がだめとなったらどうしましょう。と薄ら寒い思いでこの本を読み終えるのであります。

やせたい--。でも「炭水化物」を食べたいというのは人生を生きていくうえで大きな問題であると再認識したしだいであります。かなり大げさ。
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2009年08月14日

速度の問題

かつて作家の鈴木いづみは、
「速度が大切なんだ」
と叫び、生き急いだ。

速度というのは人それぞれ違う。でも否応無しに社会で仕事をしていくと速度の問題に行き着く。

たまたまtブックオフで「生活という速度」という本を見つける。博報堂の人が書いたものだが、あまり現場ではなくリサーチ系の人みたいで書いていることが、この速度の話が多いのが面白かった。忙しく生活しているけど、アフター5には速度を落とすと見える景色が違うのだろうという話。

実は最近、夕方に電車に乗るとものすごく多くの人が家路を急ぐさまを見ていて、それは会社という空間の空気感とか速度感から逃れるようなイメージがしたのはまんざら自分だけではないのだなとこの本を読むにつれ思うのだ。



少し前にコーピングというストレスコントロールやコンディショニングの本の著者さんの話を聞いて興味を持ったのだが、現在のようなストレス社会というのは、この速度の問題と大きく関係があると思うようになった。

今のように世の中がめまぐるしく変わるような時代では、そこに追いつけないと、自分がおいてかれるような錯覚になるのではないか。そういう社会や組織の速度に合わせていくことで無意識にストレスがたまり心を病んでいく。そういうケースが多いのだろうな。



たまたま知り合いから「ワーキングうつ」という本をいただく。フリーライターの西川さんという方が書いた本で、これまた組織と個人の板挟みでうつになり、会社を休んだあげく左遷や解雇といった家族を巻き込む問題になるという現状をレポートしている。ここでも実感するのは、

「速度が問題なのだ」

ということなのだ。この速度を自分でコントロールできる人というのはきわめてストレスについても制御しやすい(とはいえ、他にもストレスの要因は色々あるが)というのは個人的にもいえることで、時間がないときほどカリカリしてまさに「忘我」なほど夢中であればいいのだが、そうもいかずにイライラとしているものだ。



ただここ最近、この辺りの話を同世代の人とすることが多くて、「自分がおかれている速度」が速すぎるのか、遅すぎてだれているのか。それとも適正なスピードなのかを考えるだけでも随分、ストレスのありようとかを考えることができてこれって結構今の忙しい人たちにかけている視点ではないかと思うのだ。

本屋のビジネス書のコーナーをのぞくとこれでもかと時間管理術の本があふれ、実用書のコーナーをのぞくとこれでもかとロハスやスローライフの本が並ぶ。それも「速度の問題」という観点から観れば、また違った景色が見えるのではないか。

今年も半分すぎたけど、個人的にも後半戦から少し生活の速度を意識的にスローダウンしている。仕事がものすごいスピードだからそうした方がバランスがいい。それに尽きるのだが、そうなるとネットの速度感とかはあまりピンとこない。むしろ、のんびりと食事をしたり音楽を聴いたり本を読んだり、この感じは悪くない。

全然関係ないが、この前いただいた「田中マヤの野菜レシピノート」はだらっとした速度感にぴったりであった。モデルさんは表紙の感じとか、なんだか懐かしいオリーブとかを彷彿させます。



あとやたら人気のハナレグミのベストも引っ張りだして聴いているがこれもまたグーだ。自分の速度感もっと大事にした方がいい。そんな気分。

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