2012年09月24日

40周年記念「ベルサイユのばら展」@松屋銀座

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おそらく個人的なフランスのイメージの半分以上はベルばらからではないだろうか。すご〜く懐かしい気分で、松屋銀座へ。最終日ということもあってマジで超混雑。

ちょうど、松屋の担当の人が話していたんだけど、2週目から一気に人が増えたという。そりゃそうだろう。40代以降の女性で「お〜っ」とならん人はマンガをあまり読んでいなかったんだろうから。それほど色あせない名作の原画はみるでけでこれまた色々と思い出される。

女子高生のファンみたいなコも、「この絵ってださいって言われるけどこれがいいんだよね」というのを聴き大きくうなづく。

会場は9割9分女性で、40代から60代ぐらいがメイン。なんだか、あまり見たことのないものスゴい静寂の中の熱気ともうしましょうか、ベルばらと一人一人が向き合ってじっくり原画を見て、その後のアニメ版、宝塚版という構成を満喫しているイメージ。

しかも知らぬ間に、ベルばらKidsなる4コマも連載して、単行本のまでなっていたなんて…。自分の不徳を恥じるばかりなのだが、ここ何年もベルばらのことを気にかけていなかったのだから仕方ない。

最後には、池田理代子先生の映像でのインタビューが流されていて、うっとりとした女性多数。確かに、もう還暦すぎても精力的な氏の雰囲気に圧倒されているようであり、森光子ファンにも通じる「アンチエイジング」な憧れもにおわせつつうっとりとしたファンがまた印象的。

物販ブースもスゴかった。ファンの購買意欲が強くて、これまた行列。某有名人の奥さんも目の前で会計していたら1万円も買っていた。やっぱりファンなら欲しい細々したものとか、久々に原作本も読みたいねえなんて気にさせられるんだよね。ホント、要注意だった。

アニメ編のオスカルとアンドレの抱擁シーンとか、子供心にこれはまずいだろうと思いつつ、あったあったって懐かしいやらナンやらですね!!
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映画「クレイジーフォース」

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写真は草間彌生さんっぽいドッドですが、フレデリックワイズマンの新作がパリの名門ナイトクラブのドキュメンタリーというので、ギリギリ間に合う。こういうのが最近多いかも(笑)。

最初のオープニングは、このショーのイメージを丹念に追っていく。しかし、途中でなぜか眠くなる。これは、ワイズマンの狙いかどうか知らないけど、途中で、最近のショーは「今ひとつ」という結果になり喧々諤々の議論になり、そこからショーの構成を新しく変えていくというストーリーで、さすがに舞台裏をこれでもかと出していく。

でも、そこにはフランスの三大ナイトショーといわれるだけあって、洗練されてエロチックな世界観が表現されていて、みていてぐいぐい引きつけられる。

そう考えると前半のだるい展開は編集のわざなのかな。謎だ。

とはいえ、この作品を見ていると映画「ヘルタースケルター」の世界観そのものだし、さかのぼれば、渋谷系の作品のアートワークのそこかしこにもクレイジーホースの世界が如実にでている。それがちょっとレトロなパリのイメージと言えば、そうなんだけど、夜のイメージを50年以上も発信してそれが、「夜のイメージ」を象徴する存在になっているショーなんてないと思う。当然、NY発のドラッグクイーンなんかのナイトクラブのカルチャーとも重なるものもあるし、ちょっと最後のショーの完成してからのお披露目シーンは感動的すらあった。

日本ではなかなかここまで突き抜けたものはないな。博多のトマト座長ぐらいかな?

かなりインスパイアされましたわ。
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映画「最強のふたり」

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やたら評判のいい映画だったので観に行った。レイトショーでも結構な人気。また仕事帰りの大人な感じが心地よい。

内容もまた、楽しいもの。パラグライダー事故で首から下が麻痺した男性と介護する黒人男性の友情と言うか、どこか孤独を抱えたもの同士の連帯感だったり、ちょっとした野郎同士の気兼ねのいらない感じって言うのは万国共通なのかなって思う。

この作品のいいところは、経済や会社といったものから、このストーリーが解き放たれていることだと思う。組織にふりまわされず、名門の出身の男性も介護の必要性から一族とは距離をとった関係性でもある。そこで、個と個が出会うことで醸成されていく「何か」みたいなものに観客が反応したんだろうな。

くしくも帰りの劇場をでる途中に、OL風の女性が「こんな映画見ちゃうとこのままビール飲んで翌日の仕事なんてすっぽかしたくなっちゃうよね〜」といっていて、やけに共感した。座布団2枚と言いたくなった(笑)。

そう考えるとこの閉塞感は、経済とか組織への帰属感とそれに伴う何とも言えん「やらされ感」にある訳で、そこから解き放つって今の時代の人間にとってはファンタジーなのかもしれん。

そういう意味では、ティム・バートンの映画と変わらない。大人も楽しめるファンタジーだ。あとウディアレンのドキュメンタリーもかなり楽しみ。
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2012年09月07日

うどん ころり展@豊前房 中目黒

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中目黒にあるうどん屋さんに「豊前房」というお店がある。ぱっと見た目、カフェっぽいんだけど、本格的なお店。とてもおいしくて、いつもお店の人の笑顔にも癒されている。

先日も夕ご飯を食べに行ったら、「うどんころり」という暖簾で「あれっ!」と思ったら、お店の中で、猫の写真展をしていた。カメラマンさんの飼っている「どんこ」という猫らしい。

どんころり http://donko.inouesayuki.com/
なんだか、かわいんんだか、ふてぶてしいんだか、どこかオヨネコブーニャンを思い出したりするんだけど、見ていたら、何だか体がほぐれました。

9月までやっているので、ぜひどうぞ。本当にうどんもおいしい。個人的にはピリ辛肉うどんがスキさ。
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2012年09月02日

「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡 @国立新美術館

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正直、具体って何のことやろうと思うのですが、行ってみたらやけにぐさっと刺さったのが、この展覧会。戦後に関西で活動していた「具体」という前衛グループの関東ではこれだけの規模でははじめてということらしい。「具体」については、美術館の説明が詳しい

具体美術協会(「具体」)は、1954年、関西の抽象美術の先駆者・吉原治良をリーダーに、阪神地域在住の若い美術家たちで結成された前衛美術グループです(1972年解散)。グループ名は、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いをあらわしています。
「具体」は、「これまでになかったものを作れ」という吉原の厳しい指示と、公園や舞台、空中を使う展覧会など吉原が繰り出す企画に刺激され、奇想天外な発想でユニークな作品を次々と生み出しました。それらは当時、国内ではほとんど注目されませんでしたが、海外で高い評価を受け、"GUTAI"の名は1950年代後半から欧米の美術界で広く知られるようになりました。


実は、前半は正直ピンと来ませんでした。やっぱりシュルレアリズムや抽象絵画や、当時、はやっていたのかわからないけど、ポロックっぽい作品がやたらあったりして…。

ところが、後半になると、「熱い抽象」から「冷たい抽象」へと作風が変化していく。このあたりになると現在のミニマリズムや後のバスキアのようなポップアートに呼応するような作品がでてくる。それが単に、模倣という意味からさらに一歩踏み出していて、日本的な差異やシンプルさがそこはかとなく漂う感じでちょっと異質な感じがしてよかった。

くしくも倉俣史朗さんの本を読んでいたら、そこでも「具体との出会いは衝撃的であった」との記述が…。gutaiの限定のリーフレットには安藤忠夫さんや横尾さんもでているからそういう時代だったのかな。

個人的には菅野聖子さんの作品群を観たときに、前に三菱の1号館でやっていた「KATAGAMI STYLE」で展示されていた日本の美術工芸と通底するものを感じました。

そこがいい。他にも見所が満載で、日本の現代美術のシーンも戦前から戦後すぐに作品を展示した国立現代美術館の「日本画の前衛」から、さらに時代の波を受けて、こういうグループがいたことに感銘を受ける。

あまりにも世の中の速度が速いから、こういうものはあっという間に人々の心から忘れ去られてしまうのかもしれない。ただ、そろそろ、時間軸を人間本来の速度に戻してみるのもいい。美術館は格好の場所だ。

あと、ここの新国立美術館は、B1のショップも楽しい。つい素敵な色の名刺入れを見つけて買ってしまったのはここだけの話だ
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2012年08月24日

マウリッツハウス美術館展&ベルリン美術館展

実は、両方ともかなり混むという事前情報なので会期の始まりとともにいってました。

とはいっても一日で両方見れることはなく、マウリッツハウスは朝イチで別の日に並んだほど。

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フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は始めてみたけど、実物がやけに小さい。まるで華奢な女性にあったかのような可憐さもいいのかしら。

ただ、フェルメールがものすごい人気なのは、その素朴な題材もさることながら、あの淡い色使いにあるきがしました。これも奈良さんの作品にいって感じたけど、

フェルメールー印象派ー日本の伝統的な色彩ー奈良美智

ってつながっている気がします。日本で暮らす人々の琴線に触れるものがあるのかな。

さておき、フェルメールが表の顔なら、裏の顔はレンブラントやフランク・ハルスだろう。笑う少年とか、どうして描こうとしたのかまるでわからん(笑)。

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レンブラントの黒はヨーロッパ絵画の黒。日本にはない漆黒だ。という訳でフランドルなので、風俗画とか多くてあんまり理屈なしに観れるのもよかった。


あと、最近は「聖母降臨」的な作品に惹かれますが、中でもルーベンスは、すごくイタリアの絵画の影響を受けていてぐっとくる。

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ただ個人的に、ベルリンの方が、展示の仕方、ボリューム含め圧倒的で、ちょうど美術史の本とかも読んでいた時期でもあって興味深かった。

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フェルメールも個人的には、「真珠の首飾りの少女」の方が作品の構図とかも含めてとても印象深い作品。

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後最後にでていたイタリアの素描がなかなかお目にかかれないもので気になった。ダヴィンチ展でも素描が展示されていたが、ヨーロッパ絵画のいわば、ベースにある背骨みたいなものがかいま見れて、ある意味、奥深さを感じます。ビバ、素描。

ベルリンでちゃんと観たいものです
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2012年08月21日

奈良美智「君は僕にちょっと似ている」@横浜美術館

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奈良さんの11年ぶりの展覧会に行ったのは、7月中旬のまだ始まったばかりの頃。すご〜く混んでいるのかと思いきや、そうでもなかった。きっとそろそろ混んでいる頃だろう。今週号のAERAに美術手帖も特集をしていた。

カタログも書店で一般発売されているし、何しろ24時間テレビのTシャツのデザインまで手がけている。

自分の気になるきっかけは、金沢の21世紀美術館での展示だった。前から気になる存在もそのアーティストの分身である作品に触れれば、自分のフィーリングにぴったりくるかどうか、ピンとくる。

そして、ピンと来た。カワイイタッチの絵もさることながら、どこか毒のある感じがいい。学生服を改造していないけど、裏ボタンをしている。そんなところか。

それにパンクが好きなのもいい。少年ナイフとか、チボマットかオルタナティブな雰囲気もありつつ…。

くしくも前にも書いたけど、川内倫子さんの写真展の直後に見たから、震災後の心象風景が重なって興味深い。作品を書けなくなる。

そうした中で、もう一度自分を見つめ直して作品と向かい合う。今回の展覧会に際して奈良さんは、自分の作品が別の解釈で広くひろまってしまうことの恐れみたいなことを再三のべていた。

そのたとえとして、インディーのバンドが人気が出てメジャーでデビューし、そのまま武道館に行ってしまうような祭り上げられ方に、生理的に違和感を感じていたということのようだ。そして無意識の違和感が震災を通じて、爆発してしまう。

圧倒的な現実の前に芸術家は何をできるのかーー。そこでできることはただただ作品と向き合うつくるということ。

奈良さんの好きなロックやパンクもまたポップという大量消費に巻き込まれるとその大きな渦の中で制御できなくなって心身のバランスを崩したり作品をつくれなくなるというのは、かつてのロックスターにもみられたけど、それと同様の扱いをされた奈良さんもまた、同じようなジレンマに苛まれていた。

そしてそうした心境を通過した作品はすがすがしいまでに奈良さんの今、そのものだ。この展覧会の代表的な作品として紹介されている「春少女」なんかもそう。

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まさに奈良さんの芸術家宣言とでも言える作品だ。くしくも今月の美術手帖を読んでいたら、ここの経ん首長さんが、この奈良さんの最近作品をして、「日本の美術の伝統の延長線上にある」という解説をしていてなるほどと思った。



この淡い色彩感覚は、田舎を旅行で訪れた時の色の質感と同じだ。ちょっと乾いた感じが、もしかすると奈良さんのアトリエのある那須の色なのかな。

違う土地を訪れるごとに感じる透明な空気の中に淡く漂っている色こそ日本の美の伝統と思うと、ますますもって奈良さんの作品が見逃せなくなる。

しかも当該の美術手帖では川内倫子さんも展覧会の写真を撮影し、コラボ的に発表していた。やっぱりこの二人も馬が合うのだろうな。

芸術家に限らず、人が生きていく上で富や名声というのは、避けては通れない問題で、ここについては、特にクリエイターと呼ばれる人たちのおかれている状況などを考えることがここ最近しばしあるのだが、そうした中で、清々しいまでに作品に没頭している姿勢に何ともうらやましくも惹かれたりします。

多分、昨年だと思うけどアートスピリットという芸術家の卵に向けてセンセイが書いた本が復刻されて話題になったけど、それほど世の中には集中や没頭といったものとは真逆の事象にあふれている中で、集中できることってある種のユートピアだと思ったりもした次第だ。




とにかくインスパイアされることだらけの展覧会でありました。
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2012年08月20日

サイボーグ009完全読本@Pen



ふと、でた特集でついつい購入。多分、「最も好きなマンガは?」と聞かれたら009と答えるほど、このマンガは小学生の頃何度も読んだ。

最初に読んだのは北欧神話エッダ編だったし、天使編の唐突な終わり方も気になっていて、どこかで愛蔵版で、天使編の続編がでるみたいな話もあったけど、フェードアウトしていた。

そうしたら、ようやく映画になるみたいだし、漫画もスタートしている。正直、映画版の009はかつての作品と、画風がにてなくてちょっとほっとしたりもしている。

石森章太郎の描いた世界はやっぱり、本人でないと表現できないだけに、あえて別物としてみられることで変な期待をせずすむから…。

それほど、この作品には思い入れがある。妄想がちでマンガとSF的な世界観に、ムーとか読んでいた子供にこれほどフィットした世界観はなかった。

一度、アニメフェアでサイン会で拝見した時は、手塚治虫先生と対照的な温和なイメージの人で、子供がリクエストする009とか仮面ライダーをその場で書いてくれて、なんかほのぼのしたのを思い出す。

あと、星の子チョビンとか、佐武と市捕物控とかサイコーでしたね。

ちょっと009のソフビいいなとおもうなあ。商売うまいなあ、Penも。
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2012年08月17日

川内倫子写真展「照度 あめつち 影を見る」@東京都写真美術館

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↑の写真は展覧会以前の川内さんの作品だけど。

7月あたままでやっていた川内倫子さんの写真展がスゴく良かった。震災後に撮影された作品を集めたものなんだけど、「震災後」というくくりの中では、個人的にはジャーナリズムの中からはピンとくるものがなくて、むしろ、震災直後の野田秀樹の舞台におけるステイトメントだったり、池澤夏樹さんの本だったり、アーティスト発の言葉や姿勢といったもの、あるいは視点に惹かれてきた。

その中でも川内さんの展覧会は、構成を含めてスゴく良かったのである。この人の作品は、見ていると、土のニオイだとか、風のそよぐ感じとか、田舎の景色を感じる。撮影対象が、自然だったりするからだろうし、構成で感心させられるのは、足下の影や、草を映すと、その後には、空を見上げたり、野焼きの山の映像があったりする。

まるで、自分の視点の変化を楽しむようなところがある。

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色彩もいい。淡い質感が個人的には、鳴門のうず潮があったかもしれないけど、四国や岡山の瀬戸内を思わせるし、その淡さがレイヤーのようにうつろいでいく。

まさに、展覧会のタイトルそのものだ。

ある種のノスタルジーは、震災以降のキーワードだ。震災前はどうだったのか。自分の足下を見返すとどうなっているんだい?

というような問いが、川内さんの写真を見ているとわいてくる。

同時期に撮影されたクラムボンの原田郁子のPVも今回の展覧会の延長線上にある作品で、会場でも流されていたが、東北の景色に明るい光彩がフューチャーされていて、それで電車の先頭から、線路を眺めていると、トンネルに入り、そこから徐々に光が射してくるーーそんな作品だ。youtubeにもアップされてた。




ふと、ユージンスミスの楽園のあゆみを思い出した。ほのぐらい中からの希望。そこに未来があるのだろうか。



ついつい、写真展のカタログも買ったけど、その場に売られていた雑誌に「FOIL」というのがあった。たまたま奈良さんの特集だったんだけど、撮影していたのが、川内さんだった。03年だからアマゾンにもなかったね。

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この後、横浜美術館によって、奈良さんの震災以降の心象風景をみるにつれ、川内さん同様、震災以降のアートのありようや、足下を見直す姿勢みたいなものに感銘したりする。

まるで、無関係に見た二つの作品展をつなぐ縁みたいなものがちょっとおかしかったりもします。
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2012年08月15日

小泉今日子30周年

気づいたらそうだったらしく、コンサートとかないのかなと思ったら、ブルーノートとか小箱にも程があるキャパで、速攻売り切れていました。

まあいいけど。



numeroってハイファッション誌に見せた芸能サロン誌みたいな雑誌で珍しく特集してみたいなので買ってみた。Youがスタイリングしたり、都築響一さんがドーラーと写真撮らせたり、意図的なのかどうか80年代の時代観を残しつつ、過去のサブカル仕事を見ると週プレの女拓とか、裏小泉のレントゲンに茄子のかぶり物とか、やっぱり80年代ってダサイね。そこが笑えていいのかも。

最近だと、自然体の代名詞とかいわれつつ、コメントから芸能人特有の傍若無人さとか、ヤンキーっぽい一面とかでていて面白い。

つくづくこの人のファンになったのが中学生の時だから、あの当時のアイドルはある意味イキが長い。

キョンキョンも自然体とか言わずにもっとダメな人でいてほしいというのはファンの勝手な印象であったりもする。

「Hippies]とか「BEAT POP」のような傑作もつくってほしいというけど難しいかな。

ちなみに30周年記念盤は、その点、気恥ずかしい80年代の空気感が詰まっていてよかったりもします。


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2012年08月10日

レーピン展@Bunkamura museum

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正直、ロシアの美術ってあまりにも縁遠くて興味がわかなかったが、なぜか引かれるこの作品↑。前にバーンジョーンズでも寝ている女性というのが作品のモチーフになっていたりするんだけど、これもレーピンの奥さんだそうな。写真では、ここまで麗しい感じではなかったけど…。

で、ロシア写実主義の巨匠ということですが、日本のみならず、世界的にここまでの作品展をするのはきわめて珍しいとのこと。そんな好奇心も手伝っていってみたのですが、ロシア=ちょっと遅れているイメージがまったく覆されました。

リンク先ではこんな説明が…。

文学ではトルストイやドストエフスキーといった文豪を、音楽ではチャイコフスキーやムソルグスキーといった作曲家を輩出した19世紀のロシアは、美術の分野でも才能ある多くの画家を世に送り出した。なかでもロシア革命に至る激動の時代の美術を代表する写実主義の画家イリヤ・レーピン(1844−1930)は、数多くの歴史画、風俗画、肖像画を手掛け、ロシア・リアリズムの旗手として活躍し、その頂点に立った人物である。またそれと同時に、形骸化したロシア画壇に新風を吹き込んだ移動美術展覧会に参加し、新しい世代の芸術家に理解を示すなど、20世紀初頭を飾るロシア・アヴァンギャルドを準備した画家としても重要である。

ということで、そろそろパリを中心にした印象派やその後の現代絵画に繋がる時期の佐買う品だけに、レーピンの生存していた時期でも「古くさい」と言われていたみたいですが、むしろ西洋絵画の伝統を吸収して、ロシアに持ち帰った功績はむしろすごいなあと単純に感動。

また当時のロシアの状況を思わせる作品もあって、感じるところも多かった。

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彼の代表作のひとつである「舟曵きの人々」は、どこか青木繁の海の幸を思わせる。圧倒的な労働の現実みたいなものへの視線というのが萌芽していたのかと思うのだ

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一方で、セレブの肖像画も数多い。あんまり肖像画って当時の時代背景を知らないだけに退屈に思い勝ちなんだけど、はっと立ち止まった作品があった。

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これが実際の作品で見るとその人格そのものが映し出されているようで中野京子さんではないが、「怖い絵なのである。他にも、レーピンの作品は「怖い絵」にたびたび登場します。

レーピンの絵から感じるのは西洋絵画の黒の表現。レンブラントにとても共鳴していただけ合って、かなり初期の作品は、レンブラントの作品を模写したようなものもあった。

あと個人的には、キャベツというのも良かった。これネットにも写真がないのでぜひ現物を。まだ認知度も低いみたいでお客さんも少なめ。

フィルメールもいいけど、個人的にはダントツに楽しめたかなあ。

会期

2012年8月4日(土)−10月8日(月・祝)  開催期間中無休
開館時間

10:00−19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日21:00まで(入館は20:30まで)
会場

Bunkamuraザ・ミュージアム
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2012年07月29日

有機栽培のお茶、善光園

先日、有楽町で打合せの帰り、交通会館によった。そこでおいしそうな冷茶を売っていたのでのんでみる。見た目、緑茶かなと思ったら、玄米茶だった。

我が家は、一日2〜4リットルぐらいお茶を飲むので、ペットボトルは割高だ。だから、パックのお茶が欠かせない。

聞けば、静岡で有機栽培しているお茶だと言う。真っ黒に日焼けしたお父さんは、栽培している人であった。そして、傍らには娘さんもお手伝い。こういうシチュエーションには弱い。

というのもさることながら、お茶がこくがあってうまし。そして、個人的には紅茶が好きなので有機栽培の紅茶パックもいただく。水だしでも飲めるという。これはたまらない。

ついつい、購入。お茶が充実すると夏も充実しますね。以下はお父さんのブログ


http://zenkouen.i-ra.jp/e553969.html
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2012年02月26日

ルドン展@三菱一号美術館


国際フォーラムの近くにある三菱美術館に久しぶりに行った。ここの展覧会は、知らない展覧会でも見られる限りは行くようにしている。あの界隈のちょっと静かな雰囲気もさることながら、リニューアルでマネを見ることができたから、いいイメージがあるんだよね。

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それで、ルドンという人。フランスの19世紀末に退廃的な作品で評価された人らしい。世紀末にオカルトブームがくるのは、日本のみならず、フランスも然りで、そうした中でかなり評価されたというから、その作品もどこか幻想小説の作品の挿絵にもぴったりで、10代前半にずいぶん耽読したから、なんだか、気恥ずかしい自分に突如、遭遇した気分になるね。自分の暗部を描くことで、どこか大人になったような気分とか…そんなことを感じました。

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といいつつもルドンの黒というのは、ある種の評価を勝ち取るほどで、見ていると、この索引から感じる幻想のイメージは、ヨーロッパの画家における黒をどう描くかという裏のテーマ性みたいなものを感じてしまった。美術史は詳しくないけど、黒へのこだわりがある作家なのだろう。

ところが、黒の作品から、子供が生まれるとルドンは色彩を帯びた作品を描き出す。これがどこかパステル調の淡い作品で、徐々に作品の色彩も鮮やかになってくのが面白い。

まるで、人の成長とともに、そして子供の誕生と共に、人生がモノトーンからカラーに、非現実から現実の中から放たれる光彩に目がイクというプロセスが垣間見えて、楽しめる。

そして、メインのグランブーケに…。作品のサイズも絢爛さも別格。花火の最後に大きな3尺玉を見たかのような、圧倒先な絵の持つパワーと展示の編集の妙に見事に満喫された。三菱一号美術館は地味ながらあなどれませんね。

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2011年07月07日

森と芸術展@庭園美術館

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たまたま森というのがキーワードだった。庭園美術館の「森と生活」展には、その展示の意図自体も素晴らしいコンセプトの展覧会であった。

もともと、絵画の対象として森が描かれていたのは古いはなしではない。ルネサンス以降の風景画、そして印象派が描いた森の風景とか…。それにア−ルヌーヴォーにシュルレアリスムにも、マックスエルンストとか結構豊富な展示。ただそれ以前にさかのぼれば聖書の失楽園のエピソードもそうだったり、古くからモチーフにはなっている。

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絵画は、印象派以前の世界では「権威」の象徴的な側面は否定できないが、その裏には「退避と郷愁」があることに気づかされる。この展示の監修者である巖谷 國士さんの慧眼ぶりと編集のするどさには正直うならされてしまった。



現代の社会こそ、権威の裏にある「森」の存在を必要としている時代はないと思うからだ。権威や閉塞感、効率の裏には、人間の抱える「郷愁や退避」の渇望が一段と高まっているのではないか。そんなことを身体感覚のみならず、3.11以降の人の言動を見ていると感じることがある。

かつて大隈重信はパラダイム転換の時期にはどういう訳か、天変地異が起こるというようなことをのべていたそうだが、今回はそれのみならず、原発という制御できないものを制御できるという「見えない広告」の存在とそれを支えてきたシステム、欺瞞もまたはじけとんだ。



日本はかつて石油の枯渇への恐怖から戦争に雪崩こんだ経緯があるが、今回も石油危機を機に日本は原発と手を組んでしまった。歴史は繰り返す。

そんなときに我々の生活を見回すと、森がある。そして世界には自然がある。なんだかそういうエスケープやサヴィタージ感につらなる展示で素晴らしい時間と空間であった。

庭園美術館自体も今年の11月で大規模な改修に入るそうだ。
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2011年05月11日

ヘンリーダーガー展@ラフォーレミュージアム原宿

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アウトサイダーアートのアーティストの中でも数少ない個展が開催される作家の作品展が終わりそうなのでいってきた。

このアーティストの作品の特徴は、まるで宮崎アニメかコパトーンのCMのような少女を巡る壮大なストーリーが展開されていて残虐なシーンやヌードにはなぜか男性器もついているというある種の『違和感』に目を奪われるはずだ。

ヘンリーダーガーは幼少時の不幸な生い立ちから孤独な生活と教育を満足に受けることができずに、最終的には81歳で亡くなるが、彼がアパートに残していた15000ページにも及ぶ記録が「非現実の王国で」というタイトルで残されていた。ダーガー本人は、一見するとあまり経済的にも恵まれない生活の中で、この作品を自分以外の誰かが作品を見ることを前提とせずに紡いでいた。そして、死後にはすべて処分を望んでいた。

ところが、この作品の存在に気づいたダーガーのアパートの大家がこの膨大な作品に美術的な勝ちを見いだし紹介することによって、不遇の老人が残した頭の中の妄想世界がアートとして認知されるようになっていった。

まず、ダーガーの作品はその絵自体もさることながら、その人生も実に興味を引く。今回のラフォーレの作品展でも、この間に進んだ研究成果をふまえ、ダーガーの生い立ちを追って紹介している。美術家は、作品はもとより、先の写楽ではないが、謎の人物像だったり、ゴッホのように不遇の人生などにもつい、感情を揺さぶられたり関心が向いてしまいがちだが、ダーガーにもいえよう。

ダーガーの作品を見たのは、世田谷美術館で93年に開催された「パラレルヴィジョン展」からで、それ以来、欠かさず見るようにしている。「パラレルヴィジョン展」は日本で最初のいわゆるアウトサイダーアート(正式な美術教育を受けていない人や心身に障害などを持つ人たちの作品群)を大々的に紹介した展覧会として話題となった。

数あるアウトサードアートの中でも異色だったのが、ダーガーの作品でそれは世界的に見ても評価の対象となっていたようだ。当時、よく覚えているのは特殊漫画家の根本敬サンが「ヘンリーダーガーはヤバいね」と話していて、余計記憶に残ったかもしれない。それほどインパクトのある作品であった。

00年には日本版の書籍も出版。かなり高いが、膨大なダーガーの作品世界を知る上で必須のアイテムだ。ちなみに、この本が展覧会で売られていたので奥付を見ると15刷りにまでなっていた。こうしたニッチの作品集としては異例ではなかろうか。



それから、しばらく時間を置いて大規模な個展が開かれるように21世紀になってから。フクヘンの鈴木さんのブログによれば、02年がワタリウム美術館で、07年には原美術館でもやっている。

それと個人的な記憶では、資生堂のギャラリーでアウトサイダーアートのグループ展でも紹介されていたような気もする。

かくも日本で彼の作品が見られるとなるとつい足が向いてしまうのだ。それほどの魅力はなぜなのかといえば、彼の人の目を意識せずに自分の欲求の赴くままに妄想を全開させて作った脳内世界を垣間見えることに他ならないだろう。

くしくもこの作品展でメッセージを寄せていたリリーフランキーさんが、ダーガーの作品をして

「の表現に費やした時間が憧れでありコンプレックス」

とのべていたことが印象的であり、ある種の芸術家にとっての理想的な境地というのはこういう世界を紡いでいるのではないかと思ったりもする。

ともすれば、ダーガー本人は現実逃避をしていただけかもしれない。それが、現実を生きていく人間にとってはあまりにも芳醇な豊かなイマジネーションの世界を感じてしまうというのは実に皮肉だったりもします。

なんか、ダーガーの作品は毎回見ると自分の中にある心というか魂というべきモノなのかがかき立てられる気がします。

人の心に訴えかけるものがアートだとすれば自分にとってもものすごくアートを感じさせるのが彼の作品なのでありましょう。

今月15日まで。



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2011年05月10日

岡本太郎展@国立近代美術館

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岡本太郎が生誕100周年だという。それで、書籍がかなり出版されたり、テレビなどでも紹介されていたりもする。

今回の大規模な回顧展もこの一環で、とにかく膨大な作品のボリュームとエネルギーに圧倒されました。

私40代ぐらいの世代ですと、イメージ的にはテレビカメラを前に「顔を作る変わった人」という程度だったが、小さい頃に母親がかなりべたぼめに褒めていた印象が強い。いわく、
「岡本太郎は、自分の兄弟を学校に行かせるために絵でかせいでいたが、建築家の黒川紀章は売れるまでは糟糠の妻が生活を支えていたが、売れた途端に女優と交際して…」
と黒川紀章さんと対比させて、いかに家族思いかということを説いていた。

そんな、あまり一般的でないイメージもありつつ、その実、彼の作品については、太陽の塔などをのぞいてはほとんど知らなかった。最近だと渋谷駅の「明日の神話」とか…ぐらいでした。

しかし、その世界観はピカソや縄文土器などエナジーあふれる素材を自分なりに昇華していて実に情熱的という言葉がぴったりである。

作品もエネルギッシュさが晩年まで衰えることなく、その創作意欲や世の中に対する姿勢も実に挑発的で、最近の明日の神話の落書きについてもどう思っているのか聴いてみたかった。

自分が中でも興味を持ったのが、彼が縄文の時代に憧れ、全国の祭りを回っていた当時の記録はいずれも現代の社会から見ると貴重な資料といえるものであった気がする。

実は、多才がゆえに作品の評価がようやく追いついてきたのかなと思いました。
タグ:アート 竹橋
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2011年05月08日

映画「英国王のスピーチ」

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すっかり英国王室のことが、先日のウイリアム王子の結婚でも気になっていたのもあって、映画「英国王のスピーチ」に行く。

王室の話なので、あまり共感できないかと思いきや地味ながらも飽きさせない展開とこれが実話をもとにした話だと思うとあっという間に時間が過ぎてしまった。

実際、この映画はエリザベス女王のお父さんのジョージ6世が吃音だった経験を乗り越える話がメインになっているのだが、吃音というと個人的に小学生のときの友人を思い出す。

その友人は吃音だったのだが、なぜか小学生のときに同じクラスで仲良くなって話しているうちに、特定の友人の前でだけ吃音が治っていた。しかし、大人を前に話すとやっぱり吃音が出てしまっていて気の毒であった。

子供は人前で失敗するのは大人以上に嫌だという感受性を持ちあわせているから、結局、引っ込み思案な性格のまま思春期に入った。その後、急にぐれちゃったけど、吃音はよくなったみたいで、この映画を見ているときにその友人が治った経緯と、この英国王が治療をしながら自分の殻を破っていく様子が重なったりもした。

王室を巡るドラマが面白いのは、そこに強烈なほどの「家族像」が持ち込まれていることだ。きわめて規範的な家族のありようを演じなければいけないというようなプレッシャーの中暮らしている。しかし、このジョージ6世の兄が一度は王位につくも体感するエピソードなどは、あまりにも人間臭くて格好のゴシップだ。

実は王室に限らず、おのおのの家庭というのは、表面上、立派なお家に住んでいてもそれぞれに抱えているものが色々ある。その大きな位置づけとして規範意識や家族とはというスタンダードなイメージがあって、そことどう折り合いを付けていくかというのは誰にでも起きうる問題意識のようなものだ。

その点でもこの映画の地味ながらもコンプレックスを乗り越える部分に観客は魅了されるのかなと思ってしまう。

さらにいえば、地味そうな展開であまり面白くないのかなと思ったら予想以上に面白かったというのもある。いい映画でした。
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2011年05月06日

写楽展@国立博物館


写楽といえば40代以降の世代ならば小学館の雑誌が思い浮かぶのだが、さにあらず。現在、国立博物館で開催されている写楽展は、とにかく圧巻の一言に尽きる。

約1年弱の活動で、140点余りの作品を残して、姿を消した写楽の4点を除く全作品が一堂に会しているというのだから見逃せるわけがありません。中野三敏さんの「写楽」にもあるが、写楽の現在での評価の高さは、世界的に高値で作品が取引されていることと、その神秘的なプロフィールにあるといっているのだが、まさにワタクシも写楽のあらゆる説に、ついつい興味を覚えていた次第。




そのきっかけになったのが、写楽をプロデュースした蔦屋重三郎の足跡について、大々的に解説した「「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展 でありました。

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写楽に歌麿とまさに、浮世絵の黄金期を代表する作品展で、改めて人物としての写楽についてそのプロフィールに注目してしまったのでした。

ところが、この疑問はあっさりと氷解してしまいます。先日、山種美術館で世界有数の浮世絵のコレクションを誇る「ボストン美術館」展を見に行った時のこと。保存状態の素晴らしい作品に見とれていると、写楽の作品の解説に思わぬ一文を発見するのでありました。

「写楽は阿波侯の能役者・斎藤十郎兵衛というのが有力とされている」

ありゃ、誰だこりゃ。そして、先の中野さんの新書を読むにつれ、もはや謎解きではなく、答えは一読瞭然といったところで、やけに納得したのであります。

それでも個人的には歌麿や北斎のほうが好きですが、写楽のデビュー直後の第一期と言われる28枚の大首絵といわれるバストアップの肖像の持つパワーには、2つの展覧会を通して再認識したのでありました。

そして翻って、国立博物館の写楽展である。これが第一期から第四期まで順を追って鑑賞することができるのだが、これが同一人物かと思わせるほど、3期以降の作品のクオリティがグングン落ちているのが素人にもわかるほど。明らかに情熱をなくしていったのでありましょう。その淡白な作風は初期の絵とは比較にならずにいて、これを見るだけでも世界的に写楽が評価されるのもうなづけるだけの迫力があります。

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さらには、写楽の作品はいわゆるいわゆる版画なので、その刷り具合や保存状態で随分と作品の見え方も異なってくる。そんなことも感じさせる内容で、なんだか、昨年の秋から、この写楽展に標準をあわせたかのような展覧会の数々に感動すら覚えました。

しかし、振り返るとすでに東京では終了した「ボストン美術館」展での作品の保存状態のいいことったらない。あれだけの作品がキレイに相次いで見られたことも貴重な経験であった。

写楽展は、来月15日まで。
タグ:上野
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2011年03月04日

映画「GONZO」

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ハンターSトンプソンの自伝映画を見る。あまり知られていない人だが、写真のようにまるで俳優のよう。でもこれがとんでもないドラッグとアルコールと快楽が好きで、優れたジャーナリストというのが面白い。

略歴はエキサイトさんの紹介記事から。

ハンター・S・トンプソンは、1937年、ケンタッキー州のルイヴィルに生まれる。鋭い文才はあるが、いわば不良少年。1956年、故郷に見切りをつけて、フロリダ州の空軍に入隊。そこで、基地の新聞のスポーツ担当となるが、横行する不正を暴き、空軍から解雇される。ニューヨークでは大学に通いながら、フリーのジャーナリストを目指す。憧れの作家は、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドである。

 トンプソンが一躍、有名になったのは、暴走族の集団「ヘルス・エンジェルス」をルポしたことから。革のジャンパーを着て、オートバイを乗り回す集団に、一年以上も自ら加わっての取材結果を、1966年に出版。ドラッグやヒッピー文化に密着したルポは、全米で反響を呼ぶ。1968年、シカゴでの民主党大会を取材した折り、ベトナム反戦デモに巻き込まれて、警官から暴行を受ける。以降、権力に対しての反感を強める。

 コロラド州の保安官に立候補したのは1970年。ドラッグの個人使用の合法化を訴えたが、落選。この経緯を「アスペンの戦い」として、ローリングストーン誌に執筆する。翌年、オートバイ・レースの取材で、ラスベガスに向かう。この旅は、ドラッグと酒浸りだったが、この記録が後に、映画「ラスベガスをやっつけろ」に発展。

 1972年の大統領選では、民主党候補だったジョージ・マクガバンを支持するが、リチャード・ニクソンが再選される。のちの大統領、まだ、ジョージア州知事だったジミー・カーターの演説に共感して、取材、執筆。ジミー・カーターの当選に貢献するが、文章にかつての勢いがなくなり、酒浸りの日々が続く。「キンシャサの奇跡」で有名な、モハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合の取材でキンシャサに向かう。トンプソンは、試合中なのに、ホテルのプールでウィスキーをがぶ飲み。取材を自ら放棄する。

 おそらく、自身の名声に溺れたのだろうか、連日、酒、女性、ドラッグの日々が続く。キーウエストにあるミュージシャン、作家のジミー・バフェット宅に居候する。まるで、トンプソンの人生を象徴するかのように、ボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」が挿入される。

 2002年12月、アシスタントのアニタと再婚する。2004年、ジョージ・ブッシュが大統領に再選されたことで、トンプソンは滅入ってしまう。最初の妻、サンディは言う。「いまこそ、トンプソンが国を変えられたはずなのに」。

 2005年2月20日、銃で自殺。8月20日、トンプソンの所有した牧場での公式の葬儀には、ジョニー・デップが支援、参加した。47メートルもある大砲で、遺灰を空高く撒いてほしいという、トンプソンの遺言通りに行われた。享年67歳。


まさにアメリカのカウンターカルチャーの中で客観的な材料を集めたジャーナリズムとは、一線を画し自身の主観で切り込んでいくニュージャーナリズムの申し子のような人であります。

日本では、GONZO(ならず者)といえば、竹中労の名前が挙がるが、もっとトリックスターのようであり、サブカル的な視点というのは、いまでいうと町山智浩さんとかに近いのかな。生き様としては、60年代以降のカウンターカルチャーの影響がありありで、やっぱり世界が閉塞していく中で元気をなくしていく。

時代と寄り添うように生きていくという言葉があるが、ジャーナリストもご多分に漏れない。ネットの時代には情報の網羅性や使いこなす部分でのスキルが必要なのはいうまでもないが、そこには「足で稼ぐ」ということや、「リスクに飛び込む」というスタンスが必要だ。ところがそれには臆病にもなっているし、怠け者にもなっている。ネットは人の怠け癖には寛大だ。だが、そんな生き方でいいのか。そんなことを突きつけられるような気がした。
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2011年03月03日

運慶展@金沢文庫

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運慶作の作品が集合しているというので金沢文庫へ。とにかく人がスゴかったです。

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中の展示の数はそう多くはないのですが、コンパクトながら実に運慶という人物が鎌倉時代に大きな影響与えたのかがわかる展示。

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それに今回の展示のきっかけとなった大威徳明王坐像の中から出てきたという当時の巻物というか、文字がすごく繊細でそれにも驚かされる。

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展示を見て一段落するとそのまま、裏のお寺に。

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品川から1時間あまりでこの景色の良さは「いい旅夢気分」でありました。

タグ:金沢文庫
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